Taka

家族や教師の反対、金銭面の問題、もちろん英語力。
 大丸少年の目の前には数々の難関が立ちはだかって
いました。 それでは、第二弾をどうぞ。


  「先生、僕はこんな田舎町でおさまる器の人間ではありません」

 一応、母には相談した。 すると、
 「留学するのは別にいいけど、私はお金は出せないよ。 どうしても
行きたいなら自分で行きなさい。 それから、必ず一つは国立の
大学に受かりなさい。 日本でまともに大学に入れない
人間がアメリカで大学に行けるわけがないからね。」
 と言われた。

 おそらく、母の目論見としては私が国立の大学に受かれば
おとなしく日本の大学にいくと思っていたのであろう。 幸か不幸か、
私の意志は母の想像よりはるかに強かった。
 日本を出る決意を固めたその夜から早速私は準備を始めた。
 この場合の「準備」とは、英語の勉強と資金集めだ。 独自に
編み出した方法を使って勉強を始めた。 同時に一応受験勉強も
して、香川大学に合格した。 香川大学には申し訳ないが、
合格証が郵便でついたと同時に母の目の前で破り捨てた。

 もちろん自信はあった。 TOEFLの点も上がり、アメリカ留学は
もはや「夢」ではなくなっていた。

 そんなとき、高校の担任に呼び出された。

 「大丸君、せっかく大学に受かったんだから、一応香川大学にいって
みればどうかね? あそこに行けば、地元(岡山)の就職にも有利だし…。」
 
即座に私は言い返した。
 「冗談じゃありません。 地元で就職する気など全くありません。 
僕は世界に羽ばたき、世界を舞台に成功する男です。 その第一歩として
アメリカに行くんです。 僕はこんな田舎町におさまる器の人間では
ありません。」

 後になって、私が敬愛する米長邦雄・永世棋聖に似たような
体験があったことを知った。
 米長先生の内弟子時代に高校進学について師匠ともめたという。

 「お前な、将棋の世界は将棋が強いかどうかが全てだ。 学歴
その他は一切関係ない。 高校なんぞに行く時間があるならその分
将棋の勉強をしろ。」

 「私は一日中できるような生ぬるい勉強などやったことがありません。 
だいたい、先生の言うとおりやっていればあなた止まりの将棋しか
指せなくなってしまいます。」

 私は18にして15歳の米長先生に追いついた。 米長先生は
師匠宅を出て高校に通い、私は完全に退路を絶って働き始めた。

 一年半後に、私は確かにアメリカ大陸に立っていた――




  

  めでたく大丸少年はアメリカに到着しました。 しかし、
彼のスリルとサスペンスに満ちた冒険はまだ序章に過ぎません
でした。 続きはその3でお楽しみください。 
また、その1に戻りたい方はこちらへ。